車やPC ・スマホにも。センサーだらけの世の中で東レの「漆黒インク」が叶える美しいデザインと利便性の秘密
「え、ここにも使われているの?」――実は、私たちの暮らしのあらゆる場面で使われている東レ製品。そんな縁の下の力持ち、東レの“素材”をもっと身近に感じ、その魅力を知ってほしいという想いからスタートした連載「こんなところに東レです+」。
ものづくりを支える東レの「人」にフォーカスしながら、素材の特徴をはじめ、誕生から開発までの製作秘話、仕事への熱い想いなどをご紹介します。
1970年代から電子情報材料事業を展開している東レは、情報通信・エレクトロニクス分野の進化を素材の力で支えてきました。今回ピックアップするのは、その中でも加飾・遮光材料「フォトブラック」。ひと言で言うならば、見せたくない部分を“漆黒”で美しく隠しつつも、必要な光(=赤外線)をしっかり通すことができる、高性能のインクです。
実際に使われているものの一つが自動車。昨今、自動運転やドライバーの運転をサポートする技術が急速に進んでいます。その仕組みに欠かせないのが、室内の様子や周囲の状況を正しく認識するためのセンサーやカメラです。手や指の動きを読み取って最適な走行をナビゲーションする機能、ドライバーが居眠りをしていないかを確認するモニタリングシステム、車間距離を測る機能…など、性能を高めるほど1台の車に搭載するセンサーやカメラは増える傾向にあります。
そうなると求められるのが、正確で鮮明な画像を認識する機能と、それらを車の見た目を損なわずに搭載するデザイン性。そこで活用されているのが、東レの「フォトブラック」なのです。主力である車載向けディスプレイの事例を挙げながら、その特徴や採用に至る道のり、未来への展望まで、開発と営業に携わる4名に話を聞きました。
既存の技術を生かすところから始まった「フォトブラック」の歩み
――まずは、東レの加飾インク「フォトブラック」が生まれた経緯を教えてください。
織田詞久/以下、織田(営業):最初にこの事業が立ち上がったのは2010年頃。もともと僕と技術の井上さんは、テレビの画面などに使われる液晶ディスプレイに使われるカラーフィルターの材料を開発していたんです。
井上欣彦/以下、井上(技術):液晶ディスプレイというのは、真っ白なバックライトの手前に、赤(R)・緑(G)・青(B)という光の三原色(=RGB)からなるフィルターが付いていて、それを組み合わせていろんな色をきれいに映しているんです。僕らは長年、RGBと液晶ディスプレイの外側を囲む“黒”のフィルター、この4つの材料をつくっていました。
織田(営業):この液晶ディスプレイの分野はもともと日本が非常に進んでいて。1990年以降、日本メーカーのモデルが一斉を風靡していきました。それが、時代の移り変わりと共に海外メーカーに奪われ、次第に衰退していきます。
そこで、当時の東レの事業戦略として、液晶ディスプレイ用のカラーフィルターから一旦離れ、そのコーティング材を内製できる強みと、これまで培ってきた技術を他の用途に活用できないかという特命を受けたのが、事業の始まりです。
井上:新しい用途展開の一つとして、当時まだ普及期だったスマートフォンのタッチセンサーの材料の一つを開発することになりました。一時期は海外の大口受注もあり、大きく目標を達成したのですが、その後は我々が思ったよりは拡大していかなかった。
そこで、さらなる新たな用途展開はないかと探していく中で、PCやスマートフォンの液晶の境目、外側を囲む“黒”の額縁に目をつけ、そこを手がかりに、“黒”に特化した活用先を広げていきました。既存の素材や技術を何度も何度もブラッシュアップして生まれたのが、加飾インクの「フォトブラック」です。
耐候性、デザイン性の担保、鮮明な画像が強みに
――現在、「フォトブラック」は自動車やスマートフォンなどのデバイスに採用され、着々と販路を拡大しています。草創期を経て、実際に選ばれるようになった東レの素材の“強み”はどういった点にあるのでしょうか。
織田(営業):実際に我々の提案が採用され始めたのは、2013年頃、今も主力の海外自動車メーカーの車載ディスプレイからでした。その決め手の一つは、高い耐候性です。
一般的に、インクは有機化合物なので長い時間太陽光に当たり続けると、分解してボロボロになってしまいます。我々は黒いインクの開発にあたり、アリゾナの砂漠の上や北極といった過酷な気象条件を設定し、そこで何百時間も放置したり、プラス60度の温度差の中を往復させたりして、その中でも耐え得る非常に耐候性の強いものをつくりました。そうした“長期の信頼性”が評価されたのだと思います。
井上:加えて車載向けでいうと、「フォトブラック」の立ち上げ当初と比べ、画面のサイズは格段に大きくなり、その設置数も情報を表示する機能も増えました。そうなると自動車メーカーから出てくるのが、画面や探知機能が増えても、部品を自然な形で車体に組み込みたい、車のデザイン性を保ちたいというニーズ。実際に、欧州などでは車体とディスプレイがより調和するガラスが採用されたり、曲線的は室内設計が増えたりしています。
実はあまり知られていませんが、曲がったガラスにインクを塗るというのは、実は高度な技術が必要なんです。我々は、そうした曲面のガラスにも美しく塗装する加工技術を持っていますし、各クライアントのニーズや特性に合わせた“黒”の色味を提供しているので、シームレスに見せることもできる。こうしたデザイン性が担保できる点も、東レの強みだと思っています。
――デザイン性を損なわない加飾技術や色味と同時に、車内外の状況を認識するために使われる赤外線を通す度合い(赤外線透過率)も、理想的な条件とされる85%を上回る結果が出ているそうですね。
織田(営業):そうですね。黒いけれど赤外線はしっかり通す、というのが難しくて。その課題を解決するために、我々は顔料となる色の付いた粉をナノレベルまで細かくしました。粒子を小さくするとインクとして扱うのが難しいのですが、そこを、技術チームの努力のおかげで、安定したインク化へと漕ぎ着けました。
井上(技術):色の粒子が大きかったり偏っていたりすると、光が散乱して画像がにじんでしまいます。粒子を細かく、均一なバランスであれば、光をまっすぐに透過して輪郭がきれいに映ります。画像を鮮明に映すというのは、顔認証する上でとても大事なポイントです。この成功には、東レが長年培ってきた樹脂素材の開発技術とノウハウが多分に生かされています。光の透過率でいえば、現状で競合のインク材の中では1、2を争えるんじゃないでしょうか。
織田(営業):競合品にはインクの形状以外のプロダクトもあり、そちらが主流で使われている領域もあるのですが、我々の技術を極めたら、そこまで踏み込めるようなインクの実力になれると自負しています。
技術と営業が“一蓮托生”で臨む提案
――織田さんと井上さんは「フォトブラック」の前身時代から携わってきたとのことですが、南部さんと木下さんは、本事業にいつから関わり、どのようなお仕事を担当されているのですか。
南部和樹/以下、南部(技術):私が東レに入社したのは2014年で、ちょうど「フォトブラック」が本格的に用途展開を広げ始めたタイミングでした。入社当時から携わる中で、自分が開発した製品が、大手企業のプロダクトに材料認定を受けたときはうれしかったですね。
それと同時に、先ほど話に出てきた長期の信頼性である“耐候性”を生かす先として、車載向けの材料、赤外線を通す“黒”インクの需要を開拓し、今もその開発を続けています。
木下佳裕/以下、木下(営業):私は営業担当として、主に車載ディスプレイに関連する“黒”の材料を拡販する業務を行っています。昔、織田さんがやられていたように、国内から海外までいろんなお客さんのところに出向き、我々の材料の特性を提案しては、彼らがどういったニーズを抱えているのかを聞き出し、その都度技術の方々と一緒にそれをどうやったら解決できるかを考える。そしてまた提案する、というのを繰り返しています。
――営業担当の方々は東京、技術担当の方々は滋賀が拠点と伺いました。チームとしてどのように連携し、事業を進めているのですか。
織田(営業):ふだんから頻繁にリモートで会議をしますし、技術チームが東京に来ることも多いですね。この「フォトブラック」事業に関しては、立ち上げ当初から基本的に井上さんと営業の僕が一緒にお客さんの元に出向き、製品の提案をしていました。
というのも、我々が所属する電子情報材料事業本部は、スピード感ある業界に対応するため迅速に意思決定ができるよう、技術開発、生産、販売が一体となって成り立っている部署なんです。当時の上司からはよく、「我々は一蓮托生なんだ」と言われてきました。
井上(技術):営業と技術、どちらがお客さんのもとへ行って話を聞いても、ある程度何が求められているのかを理解できるのは、我々のチームの強みでもあります。営業は技術面のニーズを的確にこちら(技術)に伝えてくれますし、逆に我々技術側も、お客さんと直接会って話すのは好きですしね。
あと、この製品特有だと思いますが、いわゆる研究部隊がいないんです。だから、私や南部さんのような技術担当者が、研究に近いことを担える。営業と一緒に販売もやってきたので、開発したものをすぐに自分で売り歩くこともできる。こういう作業領域の距離の近さは、個人的にこの仕事をやっていて楽しいところですね。
「東レに言っておけば、何とかなる」。未来思考の提案が実を結ぶ
――販路拡大を進める中で、「フォトブラック」の魅力を伝える際に工夫していることを教えてください。
木下(営業):僕たちが以前からお付き合いさせていただいているお客さまは、ディスプレイ周辺の方々なので、ある程度素材の特性について共通認識を持ってお話できるのですが、例えば車載向けで言うと、いわゆる完成車メーカーさんや、その一つ手前の部品を作るTier1(※)と呼ばれるお客さまは、すでに加飾された素材を使って製品にしていることが多いので、インクそのものの性能の良さについて具体的なイメージを持ってもらいにくい。
そこでつくったのが、こうした模型サンプルです。「フォトブラック」だからできるシームレスなディスプレイや赤外線透過率の高さを、目で見て直感的に理解してもらった方が話は早いので。おかげさまで、以前よりも新たなお客さまに話を聞いてもらえるようになったし、欧米の完成車メーカーさんから直接リクエストをいただけるようにもなりました。
南部(技術):これまでは車のメーカーさんとはお取引があっても、完成車メーカーさんに我々が直接入り込むのはなかなか難しい状況でした。それが、国内外の大手自動車メーカーさんと直に話せるようになった。これは結構すごいことなんです。
織田(営業):海外の各種メーカーさんは、メールを送っても大体返事は返ってこないですからね(笑)。ただ、彼らが我々の提案を見たり聞いたりして、自分たちがやりたいことに落とし込めると直感的に感じたときは、ちゃんと反応してくれる。
木下(営業):そうなんです。顕著な例が、今年に入って欧州のパーツメーカーさんからお声がけしていただいたんですけど、我々が材料を紹介したのは2年以上も前。そのときに渡した資料を引っ張り出して連絡をくれたんだと思うと、反応がないからと一度で諦めず、常にコンタクトし続けることが大事だなと。そのためには、何か新しい提案要素を準備して、彼らの興味を引くものを、手を替え品を替えカードを切っていきたいと考えています。
織田(営業):我々チームのベースにあるのは、東レの技術や強みを生かして「この材料があったらこんなことができるんじゃないか」という視点に立った“シーズ発想”。ともすると、だいぶ未来の世界に行きがち…(笑)。でも、実際に何年か後に実現したりもするからおもしろいですよね。チームのみんなの努力の甲斐あって、お客さん側からも「とりあえず東レに言っておけば、何とかしてくれるだろう」という信頼感を持ってくれているのがわかります。難しいお題を私たちに投げてくれる。その環境ができ上がっているのは、すごくいいことだなと。
厳しいリクエストに応え続けることが、新たなアイデアの源
――クライアントから求められるニーズの中には、「これは無理でしょ」という難しいお題もあるのではないでしょうか。
南部(技術):とある大手ITメーカーさんからは、毎回ものすごく厳しい要求をいただいていました。何度もダメだダメだと言われ続けながらも、めげずに応え続けていた結果、いつしか我々の開発した材料の特性が上がりすぎてしまって!当初要求されていた用途にとどまらず、他にもこんなところに使えるんじゃないか、こういった可能性があるのではなど、新たな提案・採用に繋がりました。
今振り返ると、無理な要求があったからこそ、これまで発想になかった顔料や方法を選ぶことができたんだと思います。だから、無理難題こそが、新しいアイデアを生むチャンスなのかもしれません。
織田(営業):お、名言ですね。でも、それは確かで、東レが掲げる極限追求にも通じますね。
井上(技術):我々はお客さんとの距離が近いので、良くも悪くもそうした無理難題を預けられるケースが多いんです。私も南部さんもそれを楽しめる…とまではいかないけれど、課題解決へと地道にコツコツ作業できるタイプだよね。
南部(技術):はい。もはや言われ慣れているっていうのもあります(笑)。あとは、「このお客さんは、我々が開発したらちゃんと製品化してくれる・買ってくれる」という信頼があれば、どんなに難しいお題でも何とか頑張ろう・応えたいと力が入ります。パートナーをしっかり見極めて、お客さんの要求に力を注いでいく。そうすると新しい技術が生まれ、事業も広がるのかなと思います。
――今後、さらなる用途拡大が期待できる「フォトブラック」ですが、皆さんそれぞれが今考えている本プロジェクトの未来や、仕事を通して目指したい姿を教えてください。
織田(営業):私の場合、井上さんと一緒に立ち上げから12〜13年間同じようなことをやってきたので、もしかしたらそろそろ思考が凝り固まっているところがあるかもしれない。だから、ぜひ木下さんをはじめとする次の世代に、自分が持っているこれまでの知見というバトンをどんどん渡していきたいですね。きっとまだまだ新しいアイデアやフレッシュな考え方が生まれると思うので。その分、私自身も新たなジャンルに積極的に触れて、これまでとはまた全然違う何かを見つけて、情熱を注いでいけたらと考えています。
井上(技術):私も同じく、南部さんのような優秀な若い人たちに「この仕事が楽しい」と思えるような道をつくりたいと思っています。お客さんと同じチームになって開発に携われるのは本当に楽しいですし、そういう成功体験を若い人たちにも味わってほしい。
数年前までは、家族や知人に「液晶ディスプレイに使う黒い材料をつくっている」と言っても、「は、何それ?」というそっけない反応でした(笑)。それが今では、自動車やPC、スマホといった身近なもので実感してもらえるのは本当にうれしいこと。「これは私が開発したんだ!」というものをつくりたかったので、自分の中で一つの区切りがついたところです。
南部(技術):「フォトブラック」は、もともとインクジェットで塗るように開発しているんですが、その技術を持っているお客さんって、実はごくわずか。主流は汎用性のあるスクリーン印刷による加飾なんです。数年前、我々もそのスクリーンインクをつくることができたので、今後はさらに使いたい・使いこなせるお客さんへの提案が増えていくステージに入っていくと思っています。新しい用途を今まで以上に拡大して、事業として収益化できたらというのが、今やりたいことですね。
木下(営業):先ほど井上さんがおっしゃっていたように、我々の材料が「実はこんな身近なプロダクトにも」というような、当たり前に使われるようなものをつくりたいですね。
今後の開発で、もしもインクの色のバリエーションが増えたら、例えば木目調のディスプレイに自然になじませて、高級マンションのエントランスでキーレス化ができるかも…とか。インクでできる可能性をさらに追究していくことで、インフラの一部にもなれるのではないかと考えています。
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