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ここが日本の合成繊維技術の原点!東レ愛知工場。

国内に13の生産拠点を有する東レ。広い敷地を擁する事業場・工場は、地域社会の理解と協力を得て企業活動をおこない、地域社会とともに発展してきました。そんな各事業場・工場の魅力や働く人々、地域について紹介する連載企画「今日も工場は」。

第2回目は、1941年設立の「東レ愛知工場」。日本で最初の本格的な合成繊維生産工場としてナイロン糸の生産を開始し、「日本の合成繊維技術の原点」とも評される場所です。名古屋駅から車で約10分と好立地。背後には庄内川を臨む、伝統ある工場の一つです。歴史的な背景に加えて、近年は「イノベーションの実験場」でもある工場の内部を、総務課の東浦弘樹と久留島怜乃が、愛知工場のあたたかな雰囲気に乗せてご紹介します。

写真右:東浦弘樹/2022年入社。兵庫県出身。
写真左:久留島怜乃/2024年入社。千葉県出身。ともに総務課に所属する先輩・後輩。机を並べて仕事をしています。工場について目下勉強中の久留島さんにとって、東浦さんは心強い先輩です。
(※)東浦さんは取材後の2024年8月に人事勤労部門 勤労部(大阪)に異動

設立80年超え!東レ愛知工場の歩み

日本国内に現在13の生産拠点を構える東レですが、そのうち4拠点は愛知県にあります。中でも、今回の愛知工場は交通アクセスがよく、名古屋駅からバスで1本、車ならば10分ほどの距離。

名古屋駅前の顔として愛される、名鉄百貨店下のマネキン「ナナちゃん人形」。身長は6m10cm!季節や時期によっていろいろなコスチュームを身にまとっていて、見るたびに楽しみがあります。この日は、暑い夏にぴったりのアイスクリーム

まずは東レ愛知工場の歴史から紹介しましょう。

東レ愛知工場は、1941年7月1日に、地場の繊維企業であった「庄内川レーヨン」と「庄内川染工所」を吸収・合併して発足しました。工場設立前の1937年には日中戦争、次いで41年12月には太平洋戦争が勃発。生産品であったレーヨン糸は、戦時下においてはぜいたく品とされ、生産販売を制約されます。

工場設立からわずか3カ月後の10月1日には、やむなくレーヨン部門を閉鎖しますが、織物の精練漂白・染色加工工場と定めて、この日を「工場記念日」とし、戦中も細々と操業を続けました。また、レーヨン関係設備は兵器の鉄材として供出しました。

工場の片隅にある「東岸居士の傳説」と書かれた記念碑。東岸居士は鎌倉時代の僧で、能楽の題材にもなった人物。元はこの地に墓があったが別の場所へ移設。移設後も伝承は受け継がれ、愛知工場と地場の長きにわたるつながりを物語っている。

戦後の1949年11月、ナイロンの事業化が決まり、愛知工場が製糸部門を担当することに。工事は順調に進み、1951年2月24日に初紡糸に成功。日本における合成繊維工業の歴史が本格的に幕を開けたのです。

ナイロン繊維という素材の優秀さが認められ、1953年頃からは応え切れないほどの需要に、愛知工場は増産体制を確立。1960年代前半にかけて従業員数は4,000名に近い規模となったといいます。現在は150名ほどですから、当時の勢いを示すエピソードの一つです。

歴史を感じさせる工場の屋根の一部。「のこぎり屋根」と呼ばれるこの屋根は、のこぎりの刃のようなギザギザが連なり、北向きの窓から安定した昼光を取り入れられるよう作られていた。東レでは愛知工場のほか、岡崎工場や瀬田工場などにも一部その形が残っている。


ところが、日本経済は不況へ突入。いわゆる1965年の「昭和40年不況」に加え、後発企業の台頭による過当競争などで、ナイロン事業は大きな試練を受けました。操業短縮、経費節減、余剰人員の活用といった策に加え、「市場競争力のあるナイロン」や「市場ニーズにあったナイロン」といった優れた製品群の開発や提供に邁進。景気回復も伴って、工場は活気を取り戻していきました。

80年以上にわたり、いくつもの荒波を乗り越えてきた現在の愛知工場は、ナイロンで培った繊維技術を基に、細繊度糸や複合糸などの高付加価値品をはじめ、ポリ乳酸繊維、リサイクルナイロン、100%植物由来のナイロンといった環境配慮型素材などを、多品種・少量で生産する体制を構築しています。

また、製糸課ではインドネシアやタイから技能実習生を受け入れており、東レ愛知工場で学んだ技能や技術、知識を現地関係会社に水平展開してもらう狙いがあります。国内外の工場立ち上げや技術・生産支援もおこない、適地生産・適地販売を目指す東レグループのグローバルオペレーション推進に貢献しています。

さらに、1989年から生産開始したプラスチック光ファイバは、照明、自動車、通信、工業、医療など広範な用途が特徴です。特に、眼科や腹腔内手術用照明といった医療機器向けに多くの実績を持っています。

社員自らで「作る、直す」がカルチャーに

それでは、ここからは東レ愛知工場内と働く皆さんの様子を紹介します。
この連載“今日も工場は”の第1回で登場した東レ滋賀事業場は、敷地内の行き来は車を使うこともあるくらいに広大でしたが、東レ愛知工場は市街地に佇む規模の小さい工場で、軽快に自転車で移動する人も見られました。

「他の工場や事業場と比べると規模はコンパクトですが、駅からの交通アクセスも良く、お客さまからもその点を褒めていただくこともあります」(久留島)

花壇の整備をするのは、総務課の早乙女誠さん(左)と藤谷妙子さん(右)。
仕事の休憩時間に花壇へ来て、土を触ったり、手入れをしたりすることもあるそう。藤谷さんは工場入り口に設けた植木鉢もアレンジ。「今のテーマは野草」とのこと。

工場内を歩いていると、きれいな円形の花壇が目を癒してくれます。

「この花壇は元々、池があった場所なんです。池があった頃は魚も繁殖していたのに、7年前くらいに、白鷺がやってきて魚を食べられてしまったそうで。3年ほど前花壇へリニューアルしたんです。腐葉土の下には、工場から出た廃材コンクリートなどを敷いています」(久留島)

「花壇の整備だけでなく、古い扉を塗り直したり、工場内の一室を休憩室へリニューアルしたり。歴史が長い東レ愛知工場は、建物や設備の古さはありますが、従業員たち自ら工夫して楽しく働く、ユニークな環境だと思います」(東浦)

「作る、直す」を通じて、工場に手をかけながら愛着を持って働く、というカルチャーが醸成されています。

早乙女さんが、花壇のすぐそばにある梅の木を案内してくれました。樹齢は相当のものだそうで老木ですが、立派な実が成っていました。それを使って実は……!
工場の庭でとれた梅の実と、愛知県産の赤紫蘇で、藤谷さんは梅干しもつくります。「ジッパー袋を使うと手軽で、よく浸かりますよ」。新しい東レ愛知工場の名物になる日も近い、かも?
気になるプレートを発見!「なにが入ってるんでしょうね。来年のオープンが楽しみです」と藤谷さん。
食堂に面した庭は芝刈りロボットが巡回中。「端のほうは人間が手をかけないといけませんが、それでもかなり助かっていますね」と早乙女さん。

きれいな庭や花壇は、食堂からも見えます。ちょうどお昼どきの食堂。わいわいと数人で食事を囲んだり、一人のんびり過ごしたり、自由な時間が流れます。

メインの日替わりランチセットは2種類、さらに選べる小鉢付き。数量限定の麺メニューも人気です。
食堂内に飾られたオブジェの制作を手掛けた製糸課の冨田一輝さん(右)。

食堂にはオブジェのような展示物も。「東レ愛知工場で作っているナイロン糸と光ファイバを使って、何か出し物ができないか」と相談を受けた製糸課の冨田さんが3週間かけて制作したものです。

「ナイロン糸と光ファイバのコラボをきっかけに、部署や人との間で新しい交流が生まれたそうです。昨年9月に開かれた愛知工場の秋祭りで展示し、従業員の皆さんが来場した家族と一緒に写真を撮るなどして喜んでもらえました。」(東浦)

工場で出る廃材や端材を活用し、マネキンをベースにした『花を持つ女性』という作品に。

新製品へのチャレンジも!ナイロン繊維の生産現場

ここからは、東レ愛知工場の心臓部ともいえる、ナイロン繊維の生産現場へ。

「ここで作られるナイロン繊維は、ストッキング、水着、衣料といった編物用・織物用のほかにも、スクリーン紗やティーバッグといった産業・資材用としても使われています。」と話すのは、製糸課の松田一也さん。

工場は3階建てで、3階から1階にかけて、繊維を作るための機械が貫いている形。3階部分では繊維の原料を入れるポットがズラリと並びます。

このポットから原料を熱で溶かし、2階部分の機械で「口金」と呼ぶ細い穴から押し出し、冷風に当てて冷やしていくことで繊維は作られます。

作った繊維を1階部分の機械で巻き取り、製品が仕上がります。

繊維を巻き取る機械は、分速約5,000メートルで稼働!時速なら300キロメートルですから、新幹線並のスピードです。

糸の太さを表す単位は「デシテックス」と呼ばれ、「長さ10,000mで重量が1gあるものを1デシテックス」と表記します。つまり、数字が大きいほど糸は太くなります。「今日作っているのは6デシテックスの繊維ですね。女性用のストッキングなどに使われていますよ」と松田さん。

生産工程で出てしまう機械油による製品汚れ、原料の異物や冷風の不具合などで起きる「糸切れ」など、現場にトラブルは付き物。従業員が目視で確認しながら、品質を保つ努力を続けています。

製糸課では、生産効率に関わるさまざまな数値をモニターで一覧。屑率推移、糸切れ推移、糸屑発生状況、欠点率推移、糸切れアラームなどを把握し、生産性アップに努めています。

稼働している機械は、よく使い込まれている印象を受けますが、よく見ると「東京芝浦電気」という刻印も。東芝の社名変更が1984年ですから、年月の長さを感じます。

「確かに機械としては古く、ポットも他の工場に比べれば小型です。ただ、その分だけ、新しい原料を用いた新製品や試験品など、生産の“小回り”が効くというメリットもあります。繊維原料も通常は10種類ほど用意されているものですが、東レ愛知工場には約50種類あるんです」(松田)

超極細糸、100%植物由来ナイロン…新技術がここから

フィラメント技術部 愛知フィラメント技術課の兼田千奈美さん(左)倉知大樹さん(右)

生産機械の“小回り”が効くというメリットを活かし、新製品開発に取り組んでいるのが、フィラメント技術部 愛知フィラメント技術課のメンバー。商談も行われるという課の展示スペースには、開発した繊維を使った製品見本が並んでいます。また、開発途中のサンプルもあり、まさに「新技術のショールーム」といった場所です。

「自分たちから新商品を発案することもあれば、お客様から『こんなものはできない?』とお題をいただいて応えることもあります。たとえば、このタイツには蜘蛛の巣よりも細い0.2デシテックスの糸を約100本まとめて編んだ“超極細糸”を作りました。本当に作るのに苦労したので(笑)、思い出もひとしおですね」(倉知)

東レのバイオベースナイロンは「PORTER」ブランドで有名な吉田カバンの商品にも採用されています。

「東レ愛知工場の技術を結集させたような、思い入れのある商品といえばバイオベースナイロンです。これは、『とうもろこし』と、ひまし油で知られる『ヒマ』を原料にした100%植物由来のナイロンなんです。従来の生産工程を変えずに、なおかつ安定的に作り続けられ、お客様がこれまでの繊維と同じように扱えることを実現するのに苦労しましたね。今は、透けないナイロンが作れないかと、いろいろと試験中です」(兼田)

東レ愛知工場では、光ファイバもつくっています

東レ愛知工場ではナイロン繊維の他にも、光ファイバも生産しています。装飾や照明、機器内の通信など、さまざまな場所で使われる素材です。東レの光ファイバは高い屈曲性と、広範囲に照らせる機能が評価され、内視鏡照明として採用。医療用途での採用が拡大中です。

電子材料生産部 光ファイバ生産課の皆さん。

明るい雰囲気がポジティブな原動力に

記念撮影の呼びかけに集まった東レ愛知工場の従業員の皆さん。快く応えてくれました!

80年以上にわたり歴史を刻んできた東レ愛知工場。はるか昔、多いときには4,000人いた従業員も、今は150名と聞くと、どこか寂しい響きもあるかもしれませんが、それだけ一人ひとりの顔がわかり、個性が発揮されやすい環境、ともいえます。

この日の記念撮影も、数日前から社員食堂でのお知らせ掲示だけでなく、当日の呼びかけも合わさって、場所に収まらないくらいに従業員の皆さんが集まってくれました。「こんなポーズしてみましょう!」というリクエストにも楽しげに応えてくれ、和やかに撮影は進みました。

東レ愛知工場のあちこちで目にした、自らで「作る、直す」という仕掛け。自分たちで手をかけるからこそ生まれる愛着や温かさが、新商品開発にもつながるポジティブな原動力になっているのかもしれません。

東レ愛知工場DATA

【所在地】愛知県名古屋市西区堀越1-1-1
【設立】1941年7月
【敷地面積】約17.1万㎡
【主要生産品】<繊維>“東レナイロン” <電子情報材料>プラスチック光ファイバ“レイテラ”


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