“集まり”だから面白い。地域社会と繊維産業を盛り上げる「東レ合繊クラスター」
こんにちは。東レ公式note編集部です。
長引いた寒さもやっと和らぎ、ようやく春本番ですね。思えば、2024年の幕開けは能登半島地震が起き、日本中が驚きや不安に包まれ、落ち着かない中でのスタートとなりました。発災から約3カ月が経ち、最近では断水の解消や有名な温泉地の再開など、復旧・復興のニュースが毎日更新されていますが、支援活動や復旧作業は続いています。
今回は、応援の気持ちも込めて、東レ公式noteでも北陸地方につながる話題をお届けしたいと思います。ご紹介するのは「東レ合繊クラスター」の活動についてです。2004年に、東レと繊維関連企業とで結成し、今年で20周年を迎える東レ合繊クラスター。繊維関連の幅広い業種の企業が任意で集まり、それぞれの経営力・技術力の強みを持ち寄って連携体制を構築しています。現在は、80社を超える企業が会員として活動に参加していますが、会員企業の半数以上が、古くから繊維産業が盛んな北陸地方を拠点にしています。
まずは2月8日・9日に、パシフィコ横浜で開催された自然災害対策の技術展「第28回震災対策技術展 横浜」のレポートからお届けしたいと思います。
被災者側だからこそ、伝えられることがある
能登半島地震発生の約1カ月後に開催された「第28回震災対策技術展 横浜」。東レ合繊クラスターからも、エンドプロダクツ分科会の皆さんが、「普段から安心・安全を着る」をテーマにした衣料品を出展しました。展示会への出展に対する思い、今伝えたいことを東レ合繊クラスター・エンドプロダクツ分科会の委員長を務める、丸井織物(石川県鹿島郡中能登町)の石訳さんに、展示会場でお話を聞きました。
―東レ合繊クラスターのエンドプロダクツ分科会の活動について教えてください。
石訳:東レ合繊クラスターのエンドプロダクツ分科会は、月に一度の頻度で集まって活動をしています。みんな別々の会社でありながらも、同じ土俵で、オープンなコミュニケーションをとっている仲間同士です。
私たちは普段、各々の会社で、社内にこもって作業するような開発者が多いですから、合繊クラスターとしてこういった展示会に参加して、いろんな人とコミュニケーションをとってニーズを聞き出すことは、大変刺激になります。
―地震発生後の展示会開催となりましたが、今年も変わらず展示会への継続参加を決断されたのですよね。
石訳:震災対策技術展への出展は、今回で9回目となります。出展することは、昨年の秋には決定していました。準備を進めていた中での、元日の能登半島地震でした。
東レ合繊クラスターのエンドプロダクツ分科会には、会員企業のうち9社が参加していますが、石川県にあるのは3社。ほか6社は、福井・富山・愛知・京都などにあります。石川県の分科会3社の中でも、被災したのは、実は私たち丸井織物だけなんです。会社のある中能登町では震度6弱を観測しました。それでも1月9日には稼働を開始し、生産には大きな影響はありません。もともと年始は休みでしたから、実質、地震の影響で止まっていたのは6日間だけです。
―今回の展示会での反響はいかがでしたか?
石訳:震災対策の製品というのは、災害が起こると注目してもらえますから、展示会自体は盛況だったと思います。もともと日本は震災が多い国です。私たちは以前から「安心・安全」をコンセプトにした製品を企画してきています。
特に大切にしているのは普段からという点です。「普段から備えていれば、急に災害が起こっても困らない」。言い換えると「震災対策製品だけれども、普段でも使える」とも表現できる。そういうリバーシブルの衣料品、日常と非常の区別をしないフェーズフリーという考え方を提案しています。
―大きな地震を経験した今、特別な思いもあるのではないでしょうか。
石訳:丸井織物は以前から「NOTO QUALITY」というテキスタイルブランドを掲げています。「NOTO(能登)」と地名を入れていて、自分たちのいる場所・創業の地に誇りを持っています。地域に根付き、雇用を生み出し、発展し、新しいモノを送り出し、世界に発信していく。これからも自分たちの地域に合ったやり方で、それらを続けたいと思っています。
東レ合繊クラスターの会員企業さんは、みんなそれぞれの地域で、そういった気持ちだと思います。能登で地震は起きましたが、私も「この土地でやっていこう、何があってもへこたれないぞ」、と思っています。
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モノづくりへの想いと、地域へのこだわり
能登半島地震からわずか1カ月後ではありましたが、力強い言葉をお聞きできました。日頃から蓄えている目に見えない力を感じました。課題や目標を共有し、産地連携を強めながら切磋琢磨している「東レ合繊クラスター」。
ここからは、東レ合繊クラスターを率いる宮本会長と、東レ側の佐々木リーダーの対談をお届けします。設立当初から受け継がれる思いや狙い、さらに今後はどのように進化していくのか、目指す姿とは?
北陸新幹線の延伸開業から間もない3月25日に、盛り上がりムードの福井駅からほど近い、東レ北陸支店(福井市大手)でお話を聞きました。
―東レ合繊クラスターは、2004年に結成して今年で20周年を迎えます。これまでの活動の成果などについて、あらためて教えてください。
宮本:東レ合繊クラスターは、国内の繊維産業の復権と活性化を主目的に2004年に設立されました。設立後の最初の10年は、産地企業の意識を変えていく、産地の縦横の繋がりをもっと強くしていくという、難しい課題に挑んだ期間だったと思います。
クラスター設立前というのは、合繊メーカーさんや商社さんとの取引の中で、“お任せする”という姿勢が圧倒的に多く、いろんなことが受け身であったと思います。そうではなくて、もっと消費者やマーケットを見る、そして必要な新しい枠組みを自分たちで作っていくという意識改革に取り組んできました。
私がクラスターの会長職を引き継いだのは、その後の2014年からです。それまでの10年で成果は出ていましたが、産地という括りをもっと強固なものにする必要がありました。そこで、①グローバルな活動の強化 ②連携の多様化 ③用途展開の進化・深化 の3つを掲げて、世界に類例のない原糸・高次加工一貫の連携体制の構築に取り組みました。
宮本:2014年からの5年間で、さらに自主的・自立的に動ける集団へと進化していました。自由に、自分たちの意志を持って動く活動が増えてきたなと感じていたんです。
私も合繊クラスターの会長に就任して5年が経ち、さて、これから後半という時に、コロナパンデミックが起きました。いわゆる展示会なども開催できない状態。Face to Face のコミュニケーションも出来なくなり、活動が制限されました。そして、世の中が大きく変わってしまった。お客さんのニーズ、生き方、考え方、消費者のライフスタイルも大きく変化しました。
そんなパンデミックを経て、これから本格的に次のステージが始まるわけですけれども、どうやって新しい時代に対応していくか、我々が自ら考え、提案をしていくことが重要だと思っています。
佐々木:20年前から一貫して、東レは合繊クラスター企業の皆さまをご支援するのが役割で、基本的なポジションはサポーターです。東レは国内に原糸・原綿の生産工場をもっており、そこで開発した糸、綿はクラスター企業の皆さまとともに高次加工まで至らないと衣類などの製品にはなりませんので、しっかりと共存共栄させていただきながら、対等な立場でいろんな活動を一緒にしていくという認識です。そういった、“なくてはならない関係”を構築してきた中での、宮本会長のお話にも出ましたが、コロナパンデミックですよね。
私は2020年の11月に、赴任先のドイツ・フランクフルトから日本に戻ってきたのですが、まさにコロナの真っ只中。東レ合繊クラスターの東レ側のリーダーを務めることとなり、非常に戸惑ったところもあるのですが、その分、リモートなどの方法で、どうやってこの状況を打開するかなど、相当密なお話をさせていただきました。日本では2023年5月の2類から5類への移行をもって、事実上コロナパンデミックは収束したという宣言のもと、通常の業務体制が出来るようになりました。
合繊クラスターとしても、展示会なども積極的に開催できるようになりましたし、ヨーロッパのお客様にも来ていただくというようなことも始まりました。そういう意味では、コロナパンデミック後の新しい世界にしっかり適合し、良い関係を築けているというのが私の印象です。
面白いモノづくりができる。それが東レ合繊クラスター
宮本:東レさんは、一般的な大企業と下請けの関係ではなくて、「パートナーとして一緒にやっていきましょう」という姿勢なんです。素材メーカーとして技術を大切にされているのもすばらしいと思います。我々に対しては「東レ合繊クラスターという形で、東レの冠はついているけれども、東レが全部やるのではなく、情報や技術、いろんなものを提供するので、どう加工するか、どうマーケットに提供するかということを皆さんで考えてください」ということなんです。
我々も、普通であれば、自分のところだけを見ていればいいですが、合繊クラスターになることで、糸から染色・加工まで全体を見て、全体の中での自分のところの役割は何かを考えるようになる。合繊クラスターの役割として、そういうコミュニケーションを含めたモノづくりに取り組めることは非常に大きいメリットだと思っています。ものすごく面白いモノづくりができる、それが東レ合繊クラスターだと思います。
佐々木:その根幹にあるのは、やはり「メイド・イン・ジャパン」ですよね。日本のモノを世界に広げるんだと。この根幹が共有されているので、いかに良い素材に、価値を付けて、そして、高く売るか。これをしっかりやりぬくということは、これから繊維メーカーとして日本で生き残っていくための我々の使命であると思います。
宮本:それは本当にそうですね。「日本でしかできないもの、日本だからできる」。この基盤が今あるわけですね。基盤があっても、このまま何にもしないでいくと、本当に日本から繊維産業がなくなっていってしまうわけです。
多様な人材が活躍できる業界・産地を目指して
―コロナパンデミック後の話なども出ましたが、あらためて、今後の展望、目指す姿について教えてください。
宮本:大事なことのまず1つ目は人材だと思います。繊維業界はなかなか人材が集まらないという問題があります。人材の確保、人事交流なども含めて産地にとっては非常に重要なことです。2つ目は環境問題への対応ですね。サプライチェーンなどの流通改革も含めたサステナビリティ視点での対応です。3つ目はデジタル化の推進です。
昨年、東レ合繊クラスターでもDX推進部会を作りました。業務改革の延長線上にデジタル化があるわけですので、地に足のついた改革をやっていくことが大事になってきます。経営トップから全社あげての意識改革が必要です。4つ目は海外展開です。得意とする産地の技術をどうやってグローバルでやっていくか、海外への発信、知ってもらうことも大切です。「まずはこれからの10年、いろいろ可能性のある、夢のある10年を」と思いますね。多様な人材が活躍できる業界・産地でありたいし、あってほしいと思っています。
佐々木:次の10年、いかに拡大・発展していくか。これが本当に重要だと思っています。とにかく我々東レとしては、それぞれの課題に対して、どういう支援ができるか、積極的に関わらせていただこうと考えています。そして、やはり仕事は面白く、楽しくなければ。課題はしっかりと解決していきますが、その結果として、商売が世界中に拡大して店頭で自分が開発した商品が見えれば、どんどん開発意欲が高まり自立的に進化していく。日本製品に対する海外の期待はますます高まっていくと感じています。
さらにモノの作り方や発信の仕方も工夫し、いかに出口のお客さんを広げていくかがポイントです。そういうところに、宮本会長がおっしゃったDXやサステナブル、そしてそれらを担う人材の確保など、全部が結びついていく。そこから最終的にはグローバルに、合繊クラスターとともに、商売が拡大していくというのが次の10年のあるべき姿だと思っています。
―次の10年に向けての課題がすごくハッキリ見えていらっしゃいますね。お2人とも、同じことを迷いなく明言されるので、驚きました。
佐々木:我々は同じ目線で同じ方向を見ていて、つねに情報交換・共有・交流があるので、今みたいに、今後の展望についてパッと質問を振られても、宮本会長も私も、すぐに同じ意見を語れるわけですよね。想いや考え、方向性をつねに共有できているところが、これまでの20年の成果でもあり、まさに東レ合繊クラスターの強みだと思います。
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今回は、能登で起きた震災や、東レ合繊クラスターがちょうど20周年を迎えることをきっかけに、北陸繊維産地の存在の大きさを、もっと広く知ってもらいたいという思いから記事を企画しました。北陸地方にお立ち寄りの際や、北陸地方の話題に触れる機会に、思い出していただけたら嬉しいです!
【関連情報】
東レ合繊クラスター公式Webサイト