原料なら、まかせろ。陸路と海路をフル活用、大規模プラント稼働中の東レ東海工場
国内に13の生産拠点を有する東レ。広い敷地を擁する事業場・工場は、地域社会の理解と協力を得て企業活動をおこない、地域社会とともに発展してきました。そんな各事業場・工場の魅力や働く人々、地域について紹介する連載企画「今日も工場は」。
第3回目は、1971年設立の「東海工場」。主要な合成繊維のナイロンやポリエステルの基礎原料工場として誕生し、さらにポリエステルチップを始め、汎用的なプラスチックに比べて耐熱性や難燃性などに優れた「スーパーエンジニアリングプラスチック」を作るためのポリフェニレンサルファイド(PPS)樹脂も生産。東レグループのケミカル生産における中心的な工場です。
今回の案内役は、2016年から総務課で勤務する梅村小百合さんと、入社18年目でポリマー製造部PPS生産課の若園昌士さん。あくまで広大な工場の一部分ではありますが、24時間稼働で東レグループの原料を支える東レ東海工場の取り組みをご紹介します。
東京ドーム約12.5個分!名古屋港を臨むプラント
東レ東海工場の敷地面積は約58万㎡、実に東京ドーム約12.5個分を有し、名古屋港に面した立地も特徴の一つ。プライベートバース(自前の港湾施設)を持ち、船舶での原料受け入れや生産品の輸出も可能です。すぐ側には高速道路の「伊勢湾岸自動車道」が通り、陸路も充実しています。近隣には日本製鉄、愛知製鋼、大同特殊鋼といった世界に誇る鉄鋼3社が並ぶ工場地帯であり、所在地の東海市では工場夜景の遊覧クルーズも開催されています。
また、東レ東海工場は多くの緑に囲まれており、2021年からは水辺ビオトープも造成(後ほどご紹介します!)。地域と共生・発展する工場として、国や県からもその取り組みが高く評価されています。
東レ東海工場は、名古屋鉄道「太田川駅」から、車で15分ほどの場所にあります。「ここ20年ほどで太田川駅もきれいに整備されましたね」とは梅村さん。工場地帯でもともと乗降者は多い駅ではありましたが、名鉄名古屋駅へのアクセスも良く、最近ではマンションが建つなど「暮らし」の面でも注目されます。
駅前には2015年10月に開館した東海市芸術劇場も。「ひとづくりと賑わいを創出する楽しい広場」をコンセプトにした東海市の直営施設です。コンサートや演劇が開催される他にも、「東海市民合唱団」や「東海市子どものオーケストラ」などの育成、さらには“芸術劇場の冬の風物詩”という「東海市紅白歌合戦」といったユニークな催しも行われています。
まさに東海市民の文化交流地点となっている劇場の1階ホールに、東レも携わった「東海市オリジナルカート製作プロジェクト」の展示があります。
東海市制50周年記念事業として実施されたもので、東レは「持続的な産業活動により地域社会の発展に貢献した企業」として、東レ東海工場、東レ・ファインケミカル東海事業場、東レ・デュポン東海事業場の3社が市政功労者として表彰されました。
この記念事業の啓発を目的に、「ものづくり愛知」を土台から支える東海市内で優れた技術を持つ企業が協働し、オリジナルカートを製作。東レはシートやハンドル部分に、高級車やアパレルアイテムなどによく用いられるスエード調人工皮革「ウルトラスエード®」や、炭素繊維を使用した「トレカ®織物」を提供しました。
あの有名観光地も超えている。見上げるほどの「日本初」
「東レ東海工場へ行く前に、もう一カ所、寄り道しましょう!」(梅村)
梅村さんの呼びかけで車を停め、公園を歩くこと数分。階段を上がった先には……
見上げるほどの大仏が!
私たちを迎え入れてくれたのは「聚楽園大仏」でした。高さは18.79メートルと、かの有名な奈良や鎌倉の大仏を超えるほどの大きさ。1927年に昭和天皇ご成婚を記念して開眼供養された、日本で最初の鉄筋コンクリート造りの大仏です。建立者は実業家の山田才吉で、現在の価値で3億円ともいわれる私財を投じたそう。
「大仏は高台の上に建っているのもあって、天気が良い日には、僕らが働くPPSプラントの屋上から頭が見えることもあるんですよ」(若園)
操業53年。関係会社も集って運営しています
それでは、いざ東レ東海工場へ。まずはその歩みから紹介しましょう。
1962年、名古屋南部臨海工業地帯に「名古屋製鉄化学工業」が設立され、東レも参画しましたが本プロジェクトは中止に。ただ、その用地を東レも分割保有することになったのが東レ東海工場の基礎です。
1960年代後半、ナイロンやポリエステルの原料需要が増大。それに伴い、ナイロン原料であるカプロラクタム(ラクタム)の確保と、ポリエステル原料であるテレフタル酸の自製化が求められ、1969年には保有していた用地に「名古屋事業場東海分工場」として建設。1971年2月に工場が完成し、3月には操業を開始。同年5月24日に開場式を挙行したことで、この日が工場記念日になっています。
ラクタム、テレフタル酸に加え、1976年1月からはポリエステルチップ連続重合設備も建設・操業を開始。76年2月16日に「名古屋事業場東海工場製造部」から「名古屋事業場東海工場」へ改称、79年11月1日には分離し、現在の東海工場として独立しました。
その後も主要生産品は増えていき、1993年にはPPS樹脂 トレリナ™、2019年には有機ELディスプレイに用いるエレクトロコーティング剤の生産を開始。ラクタムは2004年6月から生産拠点を東レ東海工場に集約し、さらなる競争力強化を図っています。
また、東レ東海工場の敷地内には、東レ株式会社の他にも5つの関係会社が事業所を置き、協力会社も含めると多数の企業が集ってもいます。日々、それらの企業と連携しながら、一体となって「東レ東海工場」を運営しているのも特徴といえるでしょう。
希少種が訪れ、生物多様性を守る。緑地内に水辺ビオトープを造成
もう一つ、大切なのは環境への取り組み。東レ東海工場は、大規模な化学工場でありエネルギー使用量も大きいため、安全・防災への取り組みとともに「環境との調和」を最優先課題として推進してきました。
たとえば、ASM(Activated Sludge Model、活性汚泥モデル)とメタン発酵処理を複合させた高効率な排水処理、ボイラー排ガスに対する排煙脱硫・脱硝設備の設置、産業廃棄物の徹底削減を推し進め、2016年には廃棄物ゼロ(ゼロ・エミッション)を達成。電力においても自前のタービン設備でカーボンニュートラル燃料の混焼やバイオマス燃料の活用を通じて、省エネ施策を推進しています。
これらの取り組みの一貫でもありますが、東レ東海工場は「東レグループ緑化ガイドライン」に基づいて緑化を推進。2021年には操業50周年の記念事業として、緑地内に水辺ビオトープを造成し、生物多様性の保全や生態系の保護を目的に、緑化の取り組みを拡充してきました。
常緑樹主体の森に落葉樹を取り入れ、里山環境を再生するなかで、蝶や甲虫、水生昆虫、野鳥などが集う「バランスの取れたビオトープ」がコンセプトです。
ビオトープで昼休みの息抜きをする社員もいるほか、社員向けに「生物多様性教育」を実施するなど人材育成の場にもなっています。
東レ東海工場は2019年より生物多様性保全に取り組む団体「命をつなぐプロジェクト」に加入し、行政、専門家や地域学生、企業とも連携。市民向けの企業緑地体感イベントも開催しています。緑地は地域社会とのコミュニケーションツールとしても役割を果たしているのです。
今年9月に開催された「Love! Green Day 2024」の様子をnoteでも近日公開予定です。こちらもお楽しみに!
巨大タンクに大型プラント…東レを支える樹脂・ケミカル工場
では、ここからは広大な工場敷地の一部を見ていきましょう。
東レ東海工場があるのは、もともとは名古屋港の埋立地として作られたコンビナートの一角。1985年に伊勢湾岸自動車道が開通し、かつては名古屋駅から1時間かかったところが約20分に短縮。物流のアクセスも飛躍的に改善したそう。
「敷地はとても広いので、従業員たちは自転車でよく移動していますね。東レ関係全体で700人ほどおり、200〜300人が交代勤務しています。グループ企業は同じ食堂を使っていますから、そこで顔を合わせることもあります」(梅村)
「名古屋港を望む立地がいいですよね。夜間に屋上をパトロールで巡ることもあるのですが、タイミングが良ければ、夏には名古屋港の花火がよく見えます」(若園)
若園さんが普段働いているPPS生産課を案内してくれました。東レのPPS樹脂 トレリナ™は耐熱性、寸法安定性、耐薬品性を誇るスーパーエンジニアリングプラスチック。それらの特性から自動車部品や電子・電機部品、水廻り部品などに採用されています。ベースポリマーからコンパウンドまで一貫生産しており、多様なグレードが用意できるのも強みです。
「私は主に現場オペレーションの改善業務に取り組んでいます。手動操作の自動化、現場のモニター監視、問題発生時のアラート処理など、作業が安全かつ効率よく進むようにすることが大切ですね。現場のDX化にも4年ほど前から取り組み、ホワイトボードの手書き管理からデジタル管理に移行し、データ分析なども行えるようになってきました」(若園)
場所を変えて、ケミカル製造部の生産エリアへ。すでに50年の稼働を超える巨大プラントは、外観のサビ具合も交えて歴史を物語ります。建物の古さは感じるものの、工場内はきれいに整えられており、行き来する従業員たちが声を掛け合う姿もよく見られました。
「景色そのものは変わらないけれど、タンクの外観には年月を感じますね。トイレがきれいになったり、デジタル化が進んだり…変わっているところも確かにあるけれど、基本的には増設しながら使い継いでいるなぁ、と思います」(梅村)
生産現場は24時間稼働中。朝から夜勤までの4チームで「3日勤務、1日休み」のサイクルで回していきます。そのため「全員で一斉に休み」ということは基本的にはありません。
第1合成課のエリア内に、実は最近、目新しい小型プラントが建設されました。こちらは主に試作に使われるもので、「何を作っているかはまだ秘密」とのこと。東レ発の新たな原料イノベーションに期待が高まりますね。
関係会社も敷地内で営業中。「困ったときの駆け込み寺」も!
東レ東海工場内には関係会社も在籍。こちらは東レ・ファインケミカル。国内唯一のジメチルスルホキシド(DMSO)メーカーとして知られます。DMSOは有機化合物・無機化合物をよく溶かし、安全性も高い溶剤です。他にも、こちらも国内唯一となる液状ゴム チオコールLP®(ポリサルファイドポリマ)の製造など、ケミカル分野に強みを持っています。
こちらは東レ・デュポンの生産拠点前で。彼らが作る超耐熱・超耐寒性ポリイミドフィルム カプトン®は、 -269℃の極低温領域から+400℃の高温領域に対応できる素材として幅広く重宝されています。フレキシブルプリント配線板(FPC)などに使う回路材料、半導体用途、また鉄道車両などのモーターに使う電気絶縁材料など、さまざまに活躍しています。
東レ・デュポンは、世界屈指のサイエンス・カンパニーであるアメリカのデュポン社との合弁会社として、1964年6月に設立。東レとして初めての外国企業との合弁会社で、設立時の社名は東洋プロダクツ、1984年に東レ・デュポンに社名変更しました。デュポン社の優れた基本技術と東レの応用技術・生産技術を融合させた高機能素材を生み出し、成長を続けています。
若園さんを始め、東レ東海工場の生産現場が「頼りにしている」というのが、関係会社の「東レ建設 東海出張所」や「東レエンジニアリング中部」のみなさん。プラント工場における施工技術や保全技術に強みを持ち、工場内の配管など設備の修繕・改善作業や設備新設時の工事請け負いを担っています。
「トラブルが起きたときにも駆け込みどころですね。迅速に直すことは、安全性を守りつつも生産量を担保しなくてはならない現場としては大切ですから」(若園)
東レ東海工場が「東レグループを原料で支える」存在ならば、彼らはその工場をさらに支える存在、といえそうです。すべてが噛み合って、東レ東海工場の掲げる安全・防災が実現しています。
今日も安全に。大規模修繕も終えて、工場は稼働し続ける
東レ東海工場では、毎年9~10月にかけて大規模な定期修繕を実施しています。全体のメンテナンスを兼ねた修繕工事は、ある種の恒例行事。大量の工事車両や人員も行き交い、ふだんとは違った顔を見せる期間でもあります。修繕に伴う操業停機を全体でコントロールしながら、トラブル無く終えることが至上命題です。
「一時的に操業がストップしたり、イレギュラーな業務になったとしても、その期間だからこそできる他の作業もあるんですよね。だから、この時期は毎年、工場内がどこか独特な雰囲気になりますね」(梅村)
「東レ東海工場において、実は繁忙期ともいえるのが、この大規模定期修繕かもしれません。この時期は2,000名近い作業員が、敷地内のあちこちで作業しています。危険物や高圧ガスなどを大量に扱う、東レ東海工場ならではの光景かもしれません」(若園)
今回、工場の敷地内を歩きながら感じたのは、「大規模プラントの樹脂・ケミカル生産工場」というフレーズからは伺えないような、風通しの良さ。それは、名古屋港へと抜けていく眺望の良さゆえか、あるいは働く人たちの表情ゆえか。東レグループを支える東レ東海工場は、今日も安全着実に稼働し続けています。
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東レ東海工場DATA
【所在地】愛知県東海市新宝町31番地
【設立】1971年3月(名古屋事業場東海分工場として設立)
【敷地面積】約58万㎡
【主要生産品】<ケミカル>カプロラクタム(ナイロン原料)、テレフタル酸(ポリエステル原料)<繊維・フィルム>ポリエステルチップ(“テトロン”、“ルミラー”原料)<樹脂>ポリフェニレンサルファイド(PPS)樹脂“トレリナ”<電子情報材料>ポジ型“フォトニース”